アニメ柱稽古編が終了して、劇場版無限城編が始まるのをファンは待つ事になった鬼滅の刃。
今回は音柱の宇随天元(うずいてんげん)の実家である宇随家がどうなったのかを考察していきたいと思います。
天元は実家に嫌気が差して去っていきましたが、その後どうなっていったのか気になる人は多いんじゃないでしょうか。
そして天元がいた頃から衰退が始まっていたそうですが、何故衰退したのか気になる人は多い筈です。
それ故に考察していこうと思います。
あくまで考察なので、どう思うかは読者にお任せしますね。
鬼滅の刃天元が去った後の宇随一族はどうなったのか?
まずは天元が去っていった後の宇随一族がどうなったのかについて考察します。
果たして、どうなったのでしょうか!?
弟が後を継いだ
宇随一族は忍びの家系ですが、ある理由で一族が衰退していき、それに焦りを感じた当時の棟梁であり、天元の父親が天元を始めとした子供達に厳しい訓練を課しました。
その結果、天元と弟だけが生き残り、残りは訓練の中で死亡していったのです。
父親はこの2人のどちらかが正式な跡取りにしようとして、一騎打ちさせて勝った方を跡取りにしようとしたと思います。
しかし、父親と似た性格になり果てた弟の姿に嫌悪した天元は嫁3人と共に逃げ出したので、弟が跡取りとなったのでしょう。
そして老いた父親に代わって当主へとなったんじゃないかと思います。
軍隊に壊滅された可能性
ただ弟が当主になろうとなかろうと、衰退を阻止する術があったわけではなさそうなので、衰退は続いたと思います。
やがて宇随家の存在は当時の政府も感づいたでしょう。
大正時代にもなって忍びが存在していると言う事実が時代錯誤と言ってもいいでしょうし、もう必要としない筈です。
しかし、事を荒立てるのも良くないので政府も穏便に事を進ませようとしたと思いますが、兄弟達としのぎを削った末に当主になった弟は拒絶したでしょう。
交渉は決裂し、政府は軍隊を送って壊滅へと追い込んだんじゃないかと思います。
生き延びた可能性も
滅んだ可能性もあれば、生き延びた可能性もあったんじゃないでしょうか。
天元がいた時の過酷な訓練も父親が一族のためにしたものですから、父親と同じ考えの弟が軍隊相手に特攻したとは思えません。
特攻をしたのは下っ端の忍びだけで、弟とかはこの間に逃走した可能性があります。
宇随一族が生き残ってさえいれば再起する事は可能ですし、軍隊から逃走して一目がつかない場所で過ごしていたのかもしれません。
鬼滅の刃宇随一族が衰退した理由
次は宇随一族衰退した理由について考察していきたいと思います。
果たして、どうして衰退する事になっていったのでしょうか!?
理由①警察や軍隊が出来たから
理由の1つ目は警察や軍隊が出来たからではないでしょうか。
源平合戦後に忍者と言う存在が出来てきて、戦国時代や江戸時代では有能な忍者程大名に仕えたり、江戸幕府では御庭番として活動していました。
しかし、明治政府が出来上がってからは警察や軍隊が作られ、出番が減っていきました。
江戸幕府の頃は御庭番が全国各地に向かい、武家諸法度に違反している大名や不正をしている役人を見つけ、幕府に情報を伝える役目を担っていたでしょう。
明治政府は幕府の時みたいに藩が国の一部を統治していたのではなく、全ての土地を支配していたので忍者の役目は消え去ります。
更に明治政府は軍隊や警察を生み出し、戦や治安維持で活躍したのでより役目が無くなっていったので、衰退していったのでしょう。
理由②時代錯誤だから
理由の2つ目は時代錯誤だからじゃないでしょうか。
明治政府は江戸幕府と違い、武士も農民も商人も全て身分が平等になり、特別な感じが無くなりました。
そのため、武士は昔のように偉ぶる事が出来なくなったし、幕府や藩がなくなった事から食い扶持を得るために商人とかになったりしたのです。
それ故に忍びも主のために命を惜しまず行動すると言う方針そのものが時代錯誤となっていき、衰えていったんじゃないでしょうか。
恐らく天元も忍びの行動とか考えそのものが時代錯誤だと感じたから、抜け忍になったんじゃないかと思います。
理由③人権が無いから
理由の3つ目は人権が無いからです。
上記でも述べましたが忍びは主のために命を捨てて行動しないといけませんし、自らの命は惜しんではいけないと言われています。
昔だったらそれは美学だとされていたでしょうが、明治時代になるとそれは忍びには人権が無いと言っているようなものとなってしまいました。
明治時代の中頃では国民も政治に参加する権利の一件で盛り上がっていた事から、忍びもそう言う事も出来るのかと感じると共に今の自分達には人権がないと感じたんじゃないでしょうか。
そのため、そんな考えを持つ忍び達が増えていき、衰退していったのだと思います。
理由④就職の自由が出来たから
4つ目の理由は就職の自由が出来たからです。
江戸幕府の頃の農民や町人は限られた職業しかなる事が出来ず、自由に職業を選ぶ事は出来ませんでした。
しかし、明治政府になってからは江戸幕府の頃に比べたら自由に職業を選ぶ事が出来るようになりました。
忍びも仕事が無くなってしまったので、生きて行くために抜け忍となり、別の職業を選んだり、忍びの頃の技量を生かして軍隊や警察に入る者もいたのです。
そのため、衰退の道へと進んでいきました。
鬼滅の刃天元が去った後も宇随一族はどうなったのか?一族が衰退した理由についても!まとめ
以上が天元が去った後も宇随一族はどうなったのか、一族が衰退した理由についてでした。
明治時代の頃から忍びと言う存在が衰退していった事からも、大正時代まで宇随一族がある程度持ちこたえていた事からも、かなりの名家だったんじゃないでしょうか。
ここまでの話は何度も言うようですがあくまで考察なので、実際宇随一族が上記のように衰退したかどうかまでは分かりません。
それ故にご想像にお任せしたいと思います。
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