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継国縁壱(つぎくによりいち)は最強だったのに何故無惨を倒せなかったのか?「日の呼吸」の剣士

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主要キャラクター

ネタバレ要素を含みます!

鬼殺隊が鬼と対峙するうえで欠かせない呼吸法

それを生み出した開祖である「日の呼吸」の剣士・継国縁壱つぎくによりいちはあと一歩のところまで無惨に迫ったにも関わらず、取り逃がしてしまいます。

それは無惨が自身を肉片にして逃げ出すという埒外らちがいな手段を用いたからです……

が、なぜ吾峠呼世晴先生は縁壱を最強キャラにしながらも、無惨を倒さないという描写にしたのでしょうか?

※今回の考察はほとんどメタいため、苦手な方はご注意ください

なぜ縁壱は最強の存在となったのか?

縁壱といえばその神がかり的な強さが真っ先に思い出されます。

兄・巌勝みちかつ黒死牟こくしぼう)はその規格外な強さに心を乱され、あの無惨ですら「化け物」と言わしめました。

ファンからは「バグキャラ」「チートキャラ」などと呼ばれていますが、そもそもな話、なぜ縁壱はこんなにも最強キャラになったのでしょうか?

物語的には「痣者あざものだったから」「生まれつき才能に恵まれていた」「まさしく神仏に愛された者」といった答えが用意されているものの、メタ的に考えると

縁壱というキャラの立ち位置に戦闘能力(最強)はなくても問題ない

ような気がします。

縁壱は無惨を倒せなかったものの、鬼殺隊に呼吸法を授け、時代を超えて炭治郎を導いてくれました。

縁壱が果たした役割を思えば、非戦闘員でも良かったはずです。

しかし何度も繰り返すように縁壱は最強の存在として描かれています……思うに縁壱が最強キャラとなったのは、鬼殺隊や炭治郎を助けるためだけでなく

・人間の究極体をつくる必要があったから

だと推察します。

オカルトが存在する世界観が縁壱を最強にした?

言うまでもありませんが「鬼滅の刃」はオカルトが存在している世界です。

るい堕姫だき&妓夫太郎ぎゅうたろうなどの一部の鬼たちが地獄の炎に包まれたり、死んだ炭治郎の家族たちが夢を通して炭治郎や禰豆子に呼びかけたり等魂や死後の世界がある描写が何度も展開されています。

このオカルトはキャラの死に際がとても引き立っているものの、今回の考察で注目したいのは

オカルトが存在する世界観が縁壱を最強にした?|超人

・超人

です。

例えば恋柱・甘露寺蜜璃かんろじみつり

彼女は裕福な家庭の出で、おまけにその感性はとても女の子らしいですが、その肉体の筋繊維の密度は通常の8倍となっています。

(これにより甘露寺は力を込めれば怪力に、力をゆるめれば柔軟な動きが可能です)

このように「鬼滅の刃」ではこうした超人たちが登場しており、たとえこれといった強さがなくても変わった髪や目の色をしたキャラは多いです。

こうした超人は「ミュータント」とも呼ばれており、SFではお馴染みの設定および存在となっています。

オカルトが存在する世界観が縁壱を最強にした?|痣者

「鬼滅の刃」ではこの超人が世界観の根底にあるように思えてなりません。

現に「痣者」は身体能力を極めた者たちですし、鬼にいたっては鬼化という強制的な変異で身体能力の向上どころか、肉体操作まで可能としています。

鬼側ではその最たる存在が無惨でしたが、鬼殺隊(人間)側にも無惨の対比として「最たる者」がいなくてはならない……そう考えた作者側が縁壱に「最強」という設定を授けたのではないでしょうか?

とはいえ、この「最強」という設定は鬼殺隊側には致命的でもあったと思います。

なぜなら鬼はその特性ゆえに単独で強い存在であるものの、鬼殺隊(人間)は

・弱いからこそ仲間とともに戦い、死んだとしてもその想いを引き継ぐ存在として描かなくてはならないからです。

なぜ縁壱で無惨を倒す描写にしなかったのか?

炭治郎には仲間がいた

「なぜ縁壱によって無惨が倒される描写にしなかったのか」。

これはそのまま「なぜ炭治郎と無惨の一騎打ちの末に無惨が倒されなかったのか?」というメタ的な疑問に転じることも出来ます。

言うまでもなく、炭治郎単独で無惨を討ち取る描写にしなかったのは「皆」がいたからでしょう。

炭治郎は刀を握ったどころか、戦いなど知らない男の子でした。

そんな炭治郎は義勇ぎゆうと出会い、育手の鱗滝うろこだきのもとで修業に明け暮れ、善逸と伊之助という仲間を得ます。

もちろん良いことばかりではありません。

呼吸法のノウハウを教えてくれた錆兎さびと真菰まこもは凄惨な死を遂げており、那田蜘蛛山なたぐもやまで救えていたかもしれない剣士たちは力及ばず、炎柱・煉獄杏寿郎れんごくきょうじゅろうの助太刀すらできませんでした。

それでも炭治郎たちが前へ進めたのは1人ではなかったからです。

皆が皆、命を賭して戦いました。

それは(無惨の呪いがあったとはいえ)単独を好んだ鬼には持ちえない弱い者の力でもあり、お館様・産屋敷耀哉うぶやしきかがやが信じた「人の想い」の源でもあるでしょう。

……これに反し、縁壱はあまりにも強すぎました。

縁壱を人間側に留めるための配慮

確かに縁壱であれば無惨に勝てたと思います。

むしろ勝てて当然です。が、その強さは鬼殺隊(人間)のものではなく、むしろ鬼に近いです。

鬼殺隊(人間)側でありながら鬼のような強さを持った縁壱はその強さのせいで矛盾を抱えてしまいました。

それを解消するために、もとい

・縁壱を人間側に留めるための配慮

に無惨は倒さずにした気がします。そして無惨を倒さなかったことにより、他の者たちを導くという本来の役割に戻したのではないか?と思います。

まとめ

縁壱が最強でありながらも無惨を倒す描写にならなかったのは、縁壱を人間のままにするためだったと愚考しました。

とはいえ、その真相は吾峠呼世晴先生しか知りません。けれども縁壱と巌勝の名前に「両親が子供たちに幸いを願い、祈っていた」という設定をつくっていた先生なら、そこには優しい想いが詰め込まれていると思います。

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