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「痣」と「鬼の模様」の関係とは?「鬼滅の刃考察」

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「鬼滅の刃」終盤で明らかになった「あざ」は上弦の鬼への対抗手段として注目されました。

しかしファンの間では鬼側が気にした「鬼の模様と似ている」発言が目に留まるものの、最終回を迎えた今でもその関係性が謎に包まれたままです。

今回はそんな「痣」と「鬼の紋様」について考察していきましょう。

そもそも「痣」って何?その概要を詳しく解説!

「鬼滅の刃」における「痣」とは「痣者あざもの」の略称です。

「痣者」の条件

全集中の呼吸をある程度極めた人間が

・39度以上の体温

・心拍数が200越えする

という条件を満たせば、身体のどこかに独特な痣が浮かびます。

この痣が浮かんだ人間は「痣者」と呼ばれ、その身体能力と回復能力は飛躍的に向上するものの、鬼殺隊では「始まりの呼吸」の剣士・継国縁壱つぎくによりいちと炭治郎がいた時代以外に「痣者」になった剣士は確認されていないようでした。

このことから「痣」を発現する条件は上記以外、すなわち

・「日の呼吸」の剣士が「痣者」になること

が呼び水になるのではないか?と作中では考えられています。

「鬼滅の刃」本編ではまず「遊郭編」で炭治郎が、その後の「刀鍛冶の里編」にて霞柱・時透無一郎ときとうむいちろうと恋柱・甘露寺蜜璃かんろじみつりが続けざまに「痣」を発現しました。

「刀鍛冶の里編」終了後に行われた柱合会議で無一郎と蜜璃の脅威的な回復力が他の柱たちの目に留まり、そこから産屋敷うぶやしき当主の代行をつとめた産屋敷あまねの口を通して「痣」の存在が露わになったのです。

「痣者」のデメリット

同時に「痣」のデメリットも明らかになります。それは

・「痣者」になった人間は25歳までに死んでしまう

ことでした。

実は「痣者」の身体および回復能力は寿命を前借りしたもので、実際に縁壱が戦国時代の「痣者」たちは例外なく死んでしまいました。

これが原因で当時の剣士たちは著しく減少し、おまけに無惨と黒死牟こくしぼうたちが行った「日の呼吸狩り」のせいで鬼殺隊は存続の危機に陥ります。

その混乱によって「痣」の存在は薄れてしまい、いちおう記録が残っていた産屋敷一族ですら全容を掴めずにいました。

(他にも「痣」の重い代償や「痣者」になれなかった剣士たちが思い詰めて口を閉ざしたことが後世に残らなかった原因だとされています)

とはいえ例外的なケースもあり、生まれつき「痣」を身体に浮かべている人間・縁壱と竈門炭十郎がそれでした。

特に縁壱はずば抜けており、25歳を超えるどころか、年老いても「痣」によって寿命が尽きることがありませんでした。いずれにしても「痣」とは極限の肉体に至った者、そのサインというわけです。

それなら「鬼の紋様」ってなに?「痣」との関係は?

「痣」について語る際に必ずついて回るもの、「鬼の紋様」についてはこれといった説明がありません。

「鬼の紋様」というワードが出てきたのは「刀鍛冶の里編」でした。

例えば上弦の・半天狗の分身体、憎珀天ぞうはくてんが対峙する蜜璃の首元に浮かんだ「痣」を目にして「鬼の紋様みたいだ」と内心で首をかしげます。

その後「鬼の紋様」というワードは出なくなり、公式ファンブックでも語られないままですが、額面通りに受け取るなら「鬼の紋様」とは「鬼の身体に浮かんだ紋様」のことでしょう。

「鬼滅の刃」の鬼たちは顔や全身、腕などにタトゥーのような文様や絵柄がそれぞれに浮かんでいます。

この文様や絵柄は強力な鬼であればあるほど浮かび上がる傾向が強く、例えば「遊郭編」で暴走状態になった禰豆子の身体には植物の葉っぱが現れました。

上弦の鬼が抱いた印象もあり、「鬼の紋様」と「痣」には何かしらの関係性が指摘されていたのですが、それが何なのか言葉にならずじまいでした。

しかしその必要はないかと思います。なぜなら「痣」と「鬼の紋様」は同一、あるいは同種のものだからです。

「痣」と「鬼の紋様」の共通点は極致の肉体!

「鬼滅の刃」の鬼は心身ともに人間との差異があるものの、決して人体という枠組みから逸れることはありません。

(鬼化して間もない頃の雑魚鬼たちの異形ぶりや肉体改造を趣味に持つ玉壺ぎょっこ、蛇柱・伊黒小芭内いぐろおばないにトラウマを受けつけた蛇鬼はともかく)

例えば物語序盤、炭治郎たちが狭霧山に向かっていた時に遭遇した鬼は頸をもがれたものの、日輪刀による攻撃ではなかったため、生存していました。

その際胴体は胴体で、頸は両腕を生やすことで動き回っていましたが、後者に鳥の翼や兎の脚を生やしませんでした。

他にも上弦の鬼にしろ下弦の鬼にしろ、人体と他の生物が融合したような出で立ちや能力を持つキャラはほとんどいません。

はっきり言ってしまうと、人体よりも他の生物の体のほうが優秀だと思います。

にも関わらず、鬼が基本的に人体を保っているのは

・鬼化は結果的に人間の身体能力を向上させているから

ではないでしょうか?

つまり「鬼の紋様」は鬼化になった証ではなく、「痣」と同じく極限の肉体に至ったサインではないかと考えています。

実際に日光を浴びると死滅する、また人を喰らうといった鬼特有の生態に目を瞑れば「痣者」と鬼の身体能力は似ています。

では何故「痣者」と違って鬼は死なないのか?といったら、それは「痣者(人間)」にはない異常なまでの回復能力のおかげです。

鬼の回復能力のすさまじさは作中で度々触れられており、禰豆子ですら「口の枷は常に装着しているものの、鬼の回復力のおかげで疲れない」と明言されています。

この異常な回復能力によって鬼は「痣」のデメリット、寿命の前借りを無力化(レジスト)している気がしてなりません。

それに縁壱の名台詞である

・「道を極めた者が辿り付く場所はいつも同じだ」

は「痣者」と鬼のことを暗示していると思えます。

前者は地道に鍛えることで、後者は無惨の血を摂取して人を喰らうことで極致へと至ります。ナチュラルかドーピングかの違いでしょうが、結局「痣」と「鬼の紋様」が意味するものは同じではないでしょうか。

まとめ

特定の条件を満たすことで発現する「痣」と鬼の身体に浮かぶ「鬼の模様」。

2つは別物かもしれませんが、その本質は極限の身体能力を持つ者のサインかもしれません。

「痣者」とは異なり、鬼が生き残っているのはその並外れた回復能力のおかげだと思います。縁壱の台詞を思うと、それが的外れでないような気がしてならないのです。

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